平安の陰陽師!安倍晴明とはどんな人?

どうも、りかちゅうです!占いと言われると胡散臭いと思う方もいるかもしれません。いまは詐欺的なものがありますからね。あと自分軸もないのにそのようなものに頼るから占いなどスピリチュアルなことに関してはマイナスな意見が増えているのかなと思われます。ですが、飛鳥時代から平安時代にこのような職業があるのは衝撃が走る人もいるのかと思われます。その職業とは陰陽師です。陰陽師とは占いによる国政のサポートや風水を行っていました。スピリチュアルでそんなことしてたなんてマジかよと思いますよね。それで、その中でも有名な陰陽師がいます。それは安倍晴明です。彼は平安時代に活躍した陰陽師です。かなりの強者です。ですので、この記事にて話したいと思います!

陰陽師とは何をするの?

安倍晴明がどんな人の前に陰陽師ってなんなんだよと思いますよね?ですので、まずは陰陽師は何をしている人なのかについて話しますね?

いつから存在していたのか?

陰陽師とは飛鳥時代に桓武天皇によって設置された「陰陽寮」に所属する官僚たちのことです。今でいう国家公務員ってことでもあります。仕事内容は奈良時代から平安時代初期の間は天体観測に基づく暦の作成、時刻の管理、占いによる国政のサポートや風水を行うことでした。具体例としては新しい都を作る際にふさわしい場所を見つけたり土地の吉相を占ったりしていたそうです。もちろん、間違えたら支障を来たすので責任重大な仕事です。

平安時代から注目されるようになる

陰陽師の仕事内容に変化が起きるのは平安中期以降です。貴族階級が政治の実権を握りだしたころですね。陰陽師って本来ならば朝廷のために働か人たちです。それなのに貴族が権力を持ってからは貴族とも私的に結びつきました。そのため、貴族のコンサルタント的な役割も担うようになりました。 具体例としては貴族たちの吉凶を占ったり、密かに祭儀を執り行ったりしていたそうです。また、貴族たちが病の原因が怨霊やもののけによる祟りと考えられるうになると陰陽師に頼っていたそうです。具体的には陰陽師に原因を聞いたり祭儀や御祓いをしたりしていたそうです。もちろんその頃から陰陽師は特殊な能力を持つ呪術師としての色合いを強めていきました。

安倍晴明のプロフィール

以上が陰陽師の概要です。その中でも安倍晴明は有名な陰陽師です。平安時代では注目されている人でもあります。ですので、彼のプロフィールを載せますね。

名前 安倍晴明

生年月日 921年1月1日

出身地 

摂津国阿部野(現在の大阪市阿倍野区です)。奈良県桜井市安倍とも言われていますがはっきりしていません。

没年 1005年9月26日(享年85歳)

安倍晴明の人生

以上が彼のプロフィールです。では、彼はどのような人生を歩んだのか?

1.生い立ち

安倍晴明は921年に摂津国阿部野にて安倍益材の子として生まれます。晴明がどのような幼少期を過ごしていたのかに関しては詳しくは分かっていません。ただ、晴明は当時の優れた陰陽師として有名だった賀茂忠行とその息子で破格の出世を遂げた賀茂保憲の門下生として暦学や天文を学んだそうです。

2.役職をもらって活躍

その後、安倍晴明は宮内省に属する官司や天文博士などを歴任したそうです。また、晴明の家が平安京大内裏の土御門と呼ばれる場所にあったことから彼の子孫は土御門家とみなされるようになりました。それ以降土御門家は陰陽師の家系として長く栄えることとなったのです。

3.遅咲きでも活躍!

晴明は実力があったものの、遅咲きの陰陽師でした。理由としては陰陽寮役所が賀茂家に独占されていたため安倍晴明には出世がしにくかたから言われています。その影響で41歳で陰陽師となり、52歳で天文博士として活躍していました。具体的に何をしたのって?色々あります。その中でも

晴明が最も得意とした祭祀の一つに泰山府君祭が挙げられます。

泰山府君とは古代中国に起源を持つ神で仏教の閻魔大王とともに人間の寿命を支配すると考えられていました。そして、彼らの侍者である司命神によって生きている人間の戸籍が管理されると信じられていました。そのため、平安貴族たちはこの神を盛んに祀っていたのです。その際に泰山府君祭を仕切ったのは晴明でした。それ以外にも当時は物怪が憑りつくことで病気になると信じられていたため晴明はそうした病気や物怪の調伏も行っていたとも言われています。

 

4.花山天皇や一条天皇、道長の元のでも働く

花山天皇や一条天皇、道長の下で働き彼らから絶大な信頼を得ていました。そのため、75歳の時には蔵人所陰陽師といって天皇直属の陰陽師になりました。それから80歳で従四位下という陰陽師としては異例の高位にまで昇り詰めました。それだけでは終わりません。82歳からは左京権大夫といって行政を司る機関の長官となりました。おじいちゃんでもこんなに活躍するなんてレアですね。もちろん、晴明は1005年85歳で天寿を全うするまで生涯現役を貫きました。

安倍晴明のエピソード

人にない能力のある安倍晴明であるからこそエピソードはあります。ですので、そこら辺の話もしますね!

1.狐とのハーフ?

晴明のお母さんに関してある伝説があります。昔命を助けられた狐が人間の女に化けました。それからその恩人となる人物の妻となって清明を生んだあと正体がばれてしまい森へと帰っていったというのです。おそらく晴明の陰陽師としての活躍に魅了された後世の人々がそのような理由付けをしたと言われています。

2.不思議な能力の持ち主

賀茂忠行に仕えていた時の時の話しがあります。ある夜外出する忠行の牛車に付き添って歩いていた晴明が鬼たちの百鬼夜行に気づき眠っていた忠行に知らせます。忠行はすぐさま陰陽術で自分と従者たちが鬼に喰われることがないようやり過ごすことに成功しました。

また、若い貴族や僧侶たちが好奇心を抑えかねて晴明に人や生き物を瞬時に殺せるかどうかを問いかけます。晴明は無益な殺生はしたくないとたしなめました。ですが、公達たちはムキになります近くにいたヒキガエルを殺せと言ってきました。そして、晴明は仕方なく呪文を唱えて草の葉をカエルに投げかけるとなんとカエルは潰れて即死しました。皆は晴明の力を信じるのと同時に恐ろしがっていました。

3.色々予想していた?

晴明は神の化身と評価されるほど神秘的な力を持っていたとされていました。そのため、謎に包まれているということもあり彼にまつわる逸話は数多く残されています。藤原家に関する歴史物語「大鏡」や平安時代末期の説話集「今昔物語集」の中には花山天皇の譲位を天変で予知したという記述が見られます。また、鎌倉時代に成立した説話集「古事談」には、い犬の異変に気付いた道長が晴明に占わせたら道長を呪詛する者がいることを見破ったという逸話が記されているそうです。このような予測ができていたことから当時の人々が彼を畏怖していたことが分かります。

まとめ

陰陽師の仕事内容を見る限り日本ってスピリチュアルなことを重要視してあるのかなと思いますね。よくよく考えたら国政サポートで占いに頼るって何事と思いません?戦略に長けてる人を雇えばいいのにそういう人に頼らずスピリチュアルに任せるわけですから。道長までもが頼っていたってことですからね。これ見ても一見根拠にないことと思うかもしれません。ですが、晴明のような特殊能力がある人がいたのは事実かと思われます。そうじゃなかったら飛鳥時代から陰陽師なんているわけないですから。このようなことを踏まえても日本ってスピリチュアル的なものに長けている人が多かったのかと

最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう