周明のモデルは実在した?周明と紫式部の関係

どうも、りかちゅうです。「光る君へ」にて周明という人物が光る君へで出てきますよね?なんか紫式部が越前にいた時に出会った男らしいですね。紫式部に好意のある感じがするのかなと。ただ、これは現実にいた人物ではないです。「光る君へ」のオリジナル人物らしいです。ここら辺の随分脚色はありそうですね。なぜなら、紫式部は越前にいた時は京を恋しく想っていたため越前でそこまで楽しんでもいないからです。実際は引きこもっていることが多かったそうですね。ただ、その周明なんですが現実にもモデルとなる人物がいました。一体どういうことなのか?この記事にて話したいと思います!

周明とは何者?

先ほども述べたように周明は「光る君へ」でのオリジナル人物です。ただ、どういう人物なのか?

周明は996年に朱仁聡たちとともに越前にやってきた宋の見習い医師でです。為時が病になった時に助けましたね。ちなみに周明が越前にやってきた理由はあります。周明の生まれは対馬で12歳のときにお父さんに海に捨てられたそうです。それから宋の船に拾われて宋で育ってきたことから今回越前に訪問する機会ができたそうです。

モデルはいるの?

周明のモデルに関しては曖昧な感じではあります。ただ、いたことにはいました。一体どういう存在なのか?周明のモデルとなっているのは「紫式部物語 その恋と生涯」という本に出てくる周明國ではないかという声があります。この本はアメリカの人類学者・小説家であるライザ・ダルビーが書いたものです。ライザ・ダルビーは16歳の時に「源氏物語」の英訳版を読んで日本文化に関心を抱き日本文化について研究している人です。その際に紫式部の残した和歌集こと「紫式部集」や紫式部の残した日記こと「紫式部日記」を参考に紫式部を研究し「紫式部物語 その恋と生涯」という本を書きました。

その本に周明のような人がいるのって?そうらしいです。「紫式部物語 その恋と生涯」に登場する周明國がそれに該当すると言われています。根拠としてはその本に越前で会った中国人青年に紫式部が恋に落ちるということがかいてあるそうです。名前からしてもあれれと思いますね

現実の紫式部は越前ではそれほどだった

こんな恋があったとしても先ほども述べたように越前にいる時の紫式部はより暗くなっていたそうです。早くみんなのいる京に戻りたい気持ちが強かったとか言っていましたからね。また、みんなが雪で遊んでいても参加しなかったらしいです。それもそうですね。越前に移動していた時からこの先の生活が不安とまで言っていました。そのため、紫式部は越前は越前んいは一年しかいませんでした。理由は宣孝が求婚があったからです。紫式部からしたらこの求婚に乗って京都に戻りたいと思ったんでしょうね。

まとめ

まさかでしたね。紫式部は越前にいた時はそんな楽しんでいないと言われていたからこそ越前で一時であったとしても恋をしたなんて。その恋はちょっとした楽しみになっていたのかなと思われます。ですが、最終的には京に戻ったということは周明のような人との恋はすぐに終わった可能性は高いのかと思われます。以上です!最後まで読んでいただきありがとうございました。

りかちゅう